この作品は、投稿された小説がどう表示されるかの見本を兼ねています。ルビ、傍点、そして脚注が出てきます。脚注は小さな印で表示され、押すと中身が読めます。
黄昏たそがれが街を染めるころ、司書ししょのミナは最後の書架を回っていた。

閉館まであと十分。返された本を棚に戻し、灯りを落として鍵をかける。十年変わらない手順だった。

その日、いちばん奥の棚に、見覚えのない本が一冊だけ立てかけてあった。背表紙に題も著者名もなく、ただ蒼銀そうぎんの箔が一筋、流れるように押されているだけだ。

「返却票がない」

ミナは声に出した。返却票がないということは、この図書館の蔵書ではないということになる*1。

表紙を開くと、白い紙の中央に、一行だけが書かれていた。

あなたはこれを読んではいけない

ミナは少し笑った。禁じられると読みたくなるのが人間で、司書ならなおさらだ。十年この仕事をしていれば、読むなと書かれた本ほど中身が薄いことも知っている。

次の頁をめくる。

「一頁めくるごとに、あなたの記憶がひとつ消えます」

三頁め。

「たった今、あなたはひとつ失いました」

ミナは手を止めた。何を失ったのか、確かめる方法がない。失ったものは、失ったという事実ごと消えるからだ注。

指先が冷たくなっていた。窓の外では、街の灯りがひとつずつ点いていく。閉館の時刻はとうに過ぎていた。

ミナは自分に問いかけてみた。今朝、何を食べた。覚えている。去年の冬、どこへ行った。覚えている。館長かんちょうの葬儀の日、雨は降っていたか。

——降っていた気がする。傘を差した記憶もある。けれど、その傘が誰のものだったかが出てこない。

もともと覚えていなかったのか、いま消えたのか。区別がつかない。それがこの本のいちばん質の悪いところだった。

ミナは本を閉じ、もとの棚に戻した。それから鞄を開け、返却票を一枚取り出して、表紙の裏に挟んだ。

明日、誰かがこの本を見つける。返却票が挟まっていれば、それはこの図書館の蔵書になる。蔵書になれば、貸し出しの記録が残る。記録が残れば、誰がいつ読んだかを追える。

自分がもう覚えていなくても、記録は覚えている。司書という仕事は、つまりそういうものだった。

灯りを落とし、鍵をかけ、ミナは外に出た。夜の風が頬に触れる。

ふと、何か大事なことを忘れている気がして、立ち止まった。

「……何だったかしら」

思い出せないまま、ミナは歩きだした。鞄の中で、返却票の束がかすかに鳴った。
本文にはルビが4か所、傍点が3か所、脚注が2か所入っています。脚注のうちひとつは印を「注」と指定してあり、もうひとつは自動で番号が振られています。

書き方は、投稿フォームの「記法ヘルプ」と利用ガイドに載っています。